1.50代に入ってから断捨離して学んだこと。それはモノへの執着から離れることだった。
私は、断捨離とはただモノを捨てることだと思っていました。
最近、やました ひでこさん著「50歳からラクになる人生の断捨離」を読んで
改めて自分が断捨離して経験したことが随所に書かれていて共感するところが
多かったです。
やました ひでこさんはクラターコンサルタントを名乗っていて
断捨離という言葉を世に出した人です。
やました ひでこ 公式HPではこう述べています。
断捨離はただの片づけ術ではありません!
断捨離というと新しい片づけ術かと思うかもしれませんが、そうではありません。断捨離とは、モノへの執着を捨てることが最大のコンセプトです。モノへの執着を捨てて、身の周りをキレイにするだけでなく、心もストレスから解放されてスッキリする。これが断捨離の目的です。
そして、断捨離をこう定義しています。
断→入っていくるモノを絶つ
捨→いらないモノを捨てる
離→モノへの執着から離れる
私は、50代に入ってから、引越しをきっかけに断捨離を始めました。
当時のわが家は、居住空間のほとんどを大型家具に占領され、家族が小さくなって
暮らしている状態で、いったいこの家は誰のための家なのか?ず~とそう思っていました。
しばらくして夫の転勤で引越しをする機会を得ました。
もうこれを逃したら、いらないモノを処分することができないかもしれない。
次の引越し先では、私たち家族がゆったりくつろげる人間らしい暮らしができる
居住空間を作ろう!
そして、結婚する時に両親が用意してくれた婚礼ダンス、鏡台、食器棚
そして娘たちの学習机と大きな家具のほとんどを処分しました。
両親が買ってくれた婚礼ダンスは、当時すでに引き出し部分が壊れていて
使えなくなっていたにもかかわらず、処分するなんて両親に申し訳ない気持ちがあったのです。
それでも、ギリギリまで悩みましたが、思い切って処分しました。
節約するために、必要なモノは買わない。
使わなくなったモノを処分する。
この2つは、比較的すんなり行動することができます。
しかし、婚礼家具一式を処分するのに悩んだのは、モノへの執着を手放すことが
精神的にとっても難しかったのです。
これが、やました ひでこさんの言う「モノへの執着から離れる」ことだったのです。
モノへの執着とは、どんなことか?
人からもらったモノ。
買ってもらったモノ。
どうしても欲しくて買ったモノ。
自分で買った高額商品。
それぞれのモノに、思いが込められているので、その思いを手放せないで
執着しているモノのことだと私は思っています。
人からもらったモノ→もらったモノを処分するなんて人間としてどうなの?
買ってもらったモノ→買ってくれた人に申し訳ない。
欲しくて買ったモノ→自分を否定することになるんじゃないか。
自分で買った高額商品→高かったから処分するのはもったいない。
これらの執着から離れることは自分との戦いでもありました。
2.断捨離でモノへの執着を手放すことで学んだこと
モノへの執着を手放すことで私が学んだことは、こだわりを持たなくなったことです。
モノに囲まれて小さく暮らしていた私は、処分したいけどできないモノたちへの
ジレンマでイライラの毎日でした。
片付けても、片付けても片付かないわが家。
片付かないのは夫や子どもが片付けないから悪いんだと家族のせいにしていました。
しかし、執着を手放していたモノを処分してから、家の中が片付くことを実感して
それ以降イライラしなくなりました。
また、自分のモノを処分するかどうか決断するのは自分であること。
手放しても、何ら困ることはないこと学んでから
モノを処分すること以外のことでも、こだわりがなくなってきました。
そして、こだわりがなくなると、この先の自分の人生をどう生きていくのかを
シンプルに考えられるようになったのです。
これは私にとって大きな収穫でした。
私の場合、断捨離を知らずにただモノに占領された狹い空間で小さく暮らすことに
嫌気をさしてモノを処分した結果
やました ひでこさんの断捨離に行き着いたってことでしょう。
断捨離の効果を実感した今、この先も断捨離を続けていこうと思っています。