1.50代は、なぜマナーが試される年代なのか?
50代入ると、自分の子供や甥や姪が結婚した。赤ちゃんが生まれた。
さらに親族の死など、祝儀・不祝儀が怒涛のごとく押し寄せてくるんです。
祝儀・不祝儀でお金を包むにしても、出席するにしても常識をわきまえたことをしなければ
「いい年をして常識もしらないのね」なんて、陰口を叩かれることになるかもしれません。
常識知らずのレッテルを貼られるのは、自分だけじゃなく家族にまで及ぶことも。
血縁でのお付き合いなら、許されることもあるでしょう。
しかし、夫の上司や子ども結婚相手の親戚など、同じ親戚づきあいでも
血縁ではないお付き合いもあります。
マナーをしっかり頭に入れておかないと、私のように恥ずかしい思いをしてしまいます。
2.花嫁の母として失敗したことはとは?
長女の挙式と披露宴では、自分が当事者だった経験はあっても
親の立場は初めて。
準備をしていたつもりでも
花嫁の母としての失敗が次々と波のように押し寄せてきました。
【失敗1】結婚式前日に、お相手のお母様から電話が!
挙式・披露宴の前日ともなると、夫や私の礼服から二女の振袖の準備。
遠方からの親族の接待など、「時間がいくらあってもたりないわ!」
と思っていたところへ、ルルル~♪と電話が。
「もしもし瑠璃子さんのお宅ですか?
○○(お婿さんの名前)の母ですが・・・」
「はい。顔合わせではお世話になりました」と返事をしたけれど
結婚式の前日に電話なんて、何かあったのだろうか?
お母様は「明日の挙式・披露宴は、宜しくお願い致します。
ご挨拶をと思いまして、お忙しいとは思いますが、電話させていただきました」と
私は、そう言えば、本に書いてあった!あぁ!なんてことだぁ!!
マナー本には「挙式・披露宴の前日には、お相手のご両親にひと言、明日はよろしくお願いします。と
電話するといいでしょう」と書いてあった。
読み流していて、頭の中からぶっ飛んでいたんです。
あぁ恥ずかしい。
「私からお電話するべきところをお電話いただいて」と、非礼を詫びて電話をきりました。
どちらが先に電話をするかは、どちらでもいいのかもしれません。
しかし、娘は結婚してお相手の苗字を名乗り、お相手の家族となるのですから
やはり、私から電話をするべきでした。
【失敗2】披露宴が始まる前の控え室で!
挙式が、とどこおりなく終わり、ホットして親族と控え室へと向かいました。
この控え室は、披露宴に出席する両家の親族、来賓、上司、友人など
披露会場の準備が整うまで待っているお部屋です。
私は、その控え室入ると高齢の両親や親族、お相手のご両親と
あれこれとおしゃべりをしていました。
そこへ
「○○さん(娘の名前)のご両親ですか?
わたくしは、○○さんの会社の△△(上司)です。
本日は、おめでとうございます。お招き頂きありがとうございます」と
娘の上司がご挨拶にいらしたのです。
この上司には、来賓として祝辞をのべていただくことになっていました。
あぁ!やってしまった!
娘のために出席して頂いた来賓、上司、同僚、友人に挨拶を
しなければならないのに。
この時控え室は、両家の出席者でいっぱい。誰が誰だかさっぱりわからない。
顔がわかるのは娘の幼なじみくらいでした。
前もって、娘に出席者の顔写真を見せてもらうべきだったこと。
控え室であっても、招待客への挨拶をわすれないこと。
これら2つが、反省すべきことでした。
【失敗3】披露宴で出席者へのご挨拶回りを間違えた!
披露宴で親の出番は、乾杯も終わり食事が始まってひと息ついた頃です。
出席していただいた方々へ、挨拶に回るのですが
しかし!この時回る順番を間違えてしまったのです。
マナーとしては
新婦の来賓→新婦の同僚→新婦の友人
→新郎の来賓→新郎の同僚→新郎の友人→新郎のご親戚
最後に→新婦の親戚
私たち夫婦は
新婦の来賓→新婦同僚→新婦友人→新婦の親戚
新郎の来賓→新郎の同僚→新郎の友人→新郎のご親戚
つまり、新婦側の挨拶をすべて終わってから、新郎側の来賓へ向かったのが
間違いだったのです。
そして、1番最後に、新郎側のご親戚に挨拶をしてしまった。
これから、長くお付き合いしていかなければならない
大切なご親戚なのに失礼をしてしまいました。
3.まとめ
はじめての経験は、誰だって完璧にできることは少ないでしょう。
でも、娘の一生に一度の晴れの舞台での失敗は、避けなければなりません。
今回の失敗から学んだこと。
1.花嫁の母としてのすべきことを、忘れないために箇条書きにして、壁に貼っておく。
2.挙式・披露宴の流れや招待客を、娘と細かなところまで打合せしておくこと。
3.出席者で顔がわからない人は、写真を見せてもらうこと。
こんな失敗は、私ぐらいでしょう。いい年をして本当に恥ずかしいです。
ただ、挙式・披露宴が滞ることなく無事に終えたこと。
出席者から「いい披露宴でした」と声をかけてもらったことで
救われた思いでした。